【結婚って何?#3】結婚の世界史
結婚と宗教は切っても切れない関係にある。
日本は宗教に対しては「万物崇拝」的なところがあり、いかなる宗教も都合よく取り入れてしまった。
クリスマスがその例だ。
その結果、「人前式」という「見た目だけ」キリスト教から借りた結婚式が一般的になり、感覚がマヒしてしまっているのである。
本来、宗教と結婚は切っても切れない縁にある。
今回は日本から一度、世界へと舞台を広げて、宗教の観点から結婚を見てみよう。
宗教の分散
世界の宗教分布はこちらのサイトが分かりやすい。
世界人口から無宗教者を除くと、63%がキリスト教徒かイスラム教徒になる。
あまり知られてないが、この2つの宗教はユダヤ教の派生で、同じ神を崇めている。
次はヒンドゥー教と仏教でこちらも同じバラモン教を起源とした同一宗教となっている。こちらは無宗教を含まない場合23%が信仰していることになる。
つまり、世界で信じられている宗教の86%はバラモン教とユダヤ教の2つが起源になっているのである。
1.5大宗教の拡散
やはり文化的拡散を考慮すると、ユダヤ教系宗教と仏教が肝になる。
5大宗教がどのように発生・広がっていったかを見るにはこちらの動画が参考になる。
Map shows how religion spread around the world - Business Insider
ヒンドゥー教は1世紀頃まではバラモン教を指している。
インダス文明が栄えると同時にバラモン教が発生し、紀元前2000年にイスラエルでユダヤ教が発生する。
サピエンス全史にもあったが、人間は認知革命を起こして以降、何かしらの宗教を信仰して生活してきたため、有象無象の宗教の中から1つの宗教が拡散力を持ち、広がり始めたと言い換えることができるだろう。
2・ユダヤ教とバラモン教
5大宗教の中で一夫一妻に限っているのはユダヤ教、キリスト教、ヒンドゥー教であり、イスラム教、仏教は一夫多妻を否定していない立場をとっている。
しかし、この5大宗教の源流であるユダヤ教とバラモン教は一夫一妻がベースとなっており、イスラム教徒仏教が一夫多妻を許容したのは、源流から分岐した後の話である。
やはり人間の本質は一夫一妻なのだろうか?
キリスト教が生まれるまでの間、ユダヤ教徒と並列して存在していた結婚様式はバビロニア式、近代ローマ式、ギリシャ式などだが、それも一夫一妻という形をとっていた。
やはりヨーロッパからアジアまでのユーラシア大陸では一夫一妻が一般的だったようである。
3、なぜ一夫一妻が支配的だったのか
本来、人間の社会には最適数が存在する。
生物が安定的な社会を営める際の、集団内の個体数は脳の大きさに比例する。
これを「ダンバー数」という。
人間のダンバー数は「150」なのだが、現在の人類はそれをはるかに凌ぐ社会を形成している。
その原因は7万年前頃の認知革命だといわれている。
認知革命により、「目の前に存在しないこと」に対しても話すことができ、虚構を言語で伝えることができるようになった。
例えば「わが部族の守護神はライオンだ」と喋れるようになる。
そして、この概念を共有すればダンバー数を超える個体数を統一し社会を築けるというわけである。
さて、なぜ一夫一妻になったのか?という問いに対して、科学雑誌「ネイチャー」でカナダの研究チームは以下の通りにまとめている。
人間がダンバー数を超えて、社会を構成するメンバーを増やしていった。
その結果、社会の数が300程度でかつ乱婚状態(一夫一妻ではない状態)を維持すると、性病による人口減少が発生し、人口が減るリスクが高くなる。
社会の構成数を増やすと、人口減少が起こる現象に対する予防策として、最適なのが「一夫一妻」であり、それが選択されたのではないか、というのがカナダのチームの見解である。
4、一夫一妻を選択しない文化
前述の通り、社会を構成する人数が300に近づくと「一夫一妻」は必然となる。
逆にそれ以下の構成数をベースにする社会では一夫一妻にならずにいた。
アフリカやアメリカ大陸では、大きな文明が発生しなかった結果、そのような文化圏では乱婚に近しい状態が多くみられる。
こちらについては、多数の例が存在するので別の機会に紹介したい。
5、一夫一妻は「生物的本能」か?「文化的本能」か?
生物的に備わっている本能は「生物的本能」である。
お腹がすいたら、食べ物が食べたいのは生物学的本能だ。
生物的本能ではなく、文化的背景から来るこうありたいという願望が「文化的本能」だ。
お金が欲しいのは、文化的本能だろう。
性欲は誰もが認める「生物的本能」であるが、
子どもが欲しいや結婚したいというのはどちらの本能だろうか。
「文化的本能」はそれをストレス無く実行することが難しい。
「生物的本能」である、食欲、性欲、睡眠欲は満たそうとすることに心理的ストレスが働きづらい。
しかし、「文化的欲求」である金を貯めたい、名声を得たいといった欲求は実行するのに心理的ストレスが働くことがある。
昨今では「一夫一妻」で姦通を良しとしない社会が一般的でありながら、「性的欲求」に勝てずに、姦通をする者はどの社会でも存在する。
どのような社会でもそれを破る者が存在するということは、よほど生物的本能とは言い難い。
人間は20万年前に生まれた。
およそ7万年前に認知革命が起き、虚構を手に入れた。
さらに1万年前、農業革命で狩猟採集時代を終えた。
「一夫一妻」は農業革命以降、ダンバー数を超えた社会を構成する中で発生した「文化的本能」であるといえる。
つまり、「一夫一妻」とは人類に後付けで与えられたものである。
では、「人間はそもそも結婚したくないのか?」について話をしたい。