【結婚とは何か#2】日本の結婚の意外と知らない歴史
結婚を考えるうえで、まず日本の現行制度を考える必要があった。
ご存知の通り、多くの国々は「一夫一妻」を前提にした、法律に基づいた結婚が一般的だ。
宗教的にキリスト教徒と勢力を二分しているイスラム教文化圏の国では法律の者とに「一夫多妻」となっている。
歴史的に見て、結婚という制度はどのように誕生してきたいのだろうか。
日本国内で言えば、以下の3つが日本にとってのターニングポイントになっている。
●律令の導入(660~700年頃)
●明治時代の近代化
●1965年 恋愛結婚が見合結婚を上回る
それでは詳しくひも解いてみよう。
●ターニングポイント1:律令
律令は大きなターニングポイントではあるが、詳しく説明する必要はない。
あくまでも日本で初めて結婚について法整備が整備されたのがこのタイミングだ。
①戸籍制度と夫婦の概念の始まり
戸籍制度がはじまり社会的に「夫婦」という概念が作られたのがこの時期だ。
この頃はまだ、「一夫一妻」ではなく、「一夫多妻」であった。
なお、この律令では「第一夫人」の権利が手厚く守られるようになっている点を付け加えておこう。
②制度の運用
しかし、結婚は現在のように男の家に女が嫁ぐという形だったわけではない。
また、実際には位が高いもの通しの運用にとどまり、農民などの一般庶民ではその限りではなかったと付け加えておく。
庶民はどのような結婚をしていたかというと、嫁が夫の家に嫁ぐ今日にありきたりなものだけでなく、通い婚等主流であった。
③身分の運用
この制度は同じ身分同士でしか結婚できないように限定していた。
この制度自体は形を変え、しばらく続く。
(参考)
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=285317
●ターニングポイント2:明治時代の近代化
①家制度のはじまり
1867年、明治時代が始まる。
当時の世界は欧米諸国が一歩抜きんでており、それに追いつくべく日本は欧米諸国の制度を輸入することになる。
現代の結婚制度もその際に輸入されたものが礎になっている。
その際、身分制度も廃止されたため、今までは結婚できなかった身分のも同士が結婚できるようになった。
そして、1898年に「家制度」が確立し、新しい時代がやってくることになる。
家制度のはじまりにより、夫婦は同じ家に入るようになった。
身分制は廃止されたが、まだ、結婚とは家と家がするものであり、自由恋愛は別のものであった。
あくまでも家を継続していくための社会的な制度であった。
機能としては家と血を絶やさぬために、家の相続と、それを継ぐ子育てにフォーカスした制度だった。
恋愛で、気に入った女は「妾(めかけ)」と呼ばれ、正妻には書けないながらも、養われる存在として囲われた。
●1965年 恋愛結婚が見合結婚を上回る
日本はそもそも1965年まで、お見合い結婚が一般的であり、自由恋愛で結婚する方がマイナーであった。わずか50数年前までの話だ。(参考:日本の結婚の歴史~結婚とは「特別扱い」すること~)
つまり、「子育て」と「家」が動機となっていた結婚が、恋愛の延長線上になったのは昨今のことである。
「当たり前」のように感じている「自由恋愛による一夫一妻」は日本においてはこの程度の歴史しかない。
ちなみに日本の伝統の結婚式のように見える神前式も、大正天皇が始めて一般化したものであり、日本の伝統的な形式ではない。
われわれは「一夫一妻」の価値観を運用し始めて50年だ。
この価値観が合わないので新しい価値観を運用しなくてはいけない。
●日本の価値観をアップデートしなくてはいけない
現に欧米諸国では結婚しないで子供をつくるいわゆる「婚外出産」が一般になっており、婚外子出産の先進国フランスではこどもの50%が婚外子だ。
欧米諸国はすでに、新しい運用に手を伸ばしている。
日本は婚外子の割合が2%と先進国で一番少ない。
我々は「結婚をしないと子どもを産めない」という価値観が、生まれてくるはずだったこどもを潜在的に殺しているのである。